■「捨てる」という生き方 #71

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断捨離のやり方や効果は、十分わかっているつもりなのに、実際はとても難しい。

大昔、1人で留学先の空港に着いた時、私の持ち物はスーツケース1個でした。迎えに来てくれた学校の留学生のアドバイザーに「たったこれだけ⁈」とびっくりされました。

人間、スーツケース一個分で、なんとかなるもんなんですよね…。本当はね。

それなのに、この身の回りに溢れる、本だの布だの紙だのおもちゃだの…。おもちゃは娘があかちゃんの時に遊んだガラクタ。でも、それが処分できない。ミニチュアの人形の1㎝くらいの靴とか。

こんまりさんが動画で「物は一つ一つ手に取って、その物に対する自分の気持ちを確かめて下さい」的なことを言っていました。

要は、必要又は好きか、の選択だけなんです。

でもその判断が「いつか使うかも」とか「これは捨てるには勿体なさすぎる」とか「これ、高かったんだよねぇ…」とかいう気持ちに断然負けちゃうのです。

「捨てる」という生き方

上記タイトルは、2016年の、某仏教系の月冊本の特集です。

私が、父に宛てた手紙によく「部屋の片づけがストレス」とか書いていたので、父がこの本を去年あたりに送ってよこしました。

そして同封の手紙には「考え方を変えないと、整理整頓なんて出来ないものです。」と書かれてあって、最後の方に「明日やる、あさってやるなんてことは出来ません。明日なんてわかりませんよ…」とも…。

この本に書かれていることをいくつか抜粋してみます。

「わび」「さび」は、茶や花道、俳諧などの諸芸術に共通するもののようにしばしばいわれるが、余計なものを捨ててこそあらわれる美しさは、さながら仏心のようであるといえるだろう (p. 95)。

捨の原点:捨とは自我の自由勝手なハタラキをすて、悟りという平静な心を得るための重要な行法である (p. 63)。

慈悲を支える捨:捨は 七覚支(しちかくし)の一つに数えられている。これは覚、つまり悟りを支える七つの「部分」であると同時に、悟りを得るための修行項目である (p. 64)。

私欲を捨てて発展した企業人:松下幸之助。会社を発展させることは我慾の追求ではなく、公から与えられたひとつの役割を担うことで社会に貢献し文化を促進する行為であると信じて疑わず、つまり、私利私欲はというよりも、謂わば、公利公欲の塊なのだ (p. 90)。(ちなみにこれはいい意味で書かれていて、決して欲の塊の人、と書かれているわけではありません)

「捨」の心と茶の湯:茶の湯というのは、本来は、世を捨てた隠者のすることで、質素で簡素。  中略   だいたい煎茶道を愛好する文人たちは、隠者の色合いが濃厚だった。そもそも文人というものじたい、世の常道からはずれた道を辿った知識人たちの行きつく先のひとつである(p. 94)。

こうして、今日は片付けをする日になるはずが、この特集号に、それとは別に夏目漱石の晩年の胃痛と喉の痛みについて書かれた「夏目漱石の胃病死の謎を解く」なるものがあって、それなどを読んでいたら、あれよあれよと時間が…。それだけではありませんが…。

断捨離とは、辛い修行のようなもの也。

過去を断ち切る行為は辛いもの也。

「大法輪」第83巻 平成28年6月号 定価940円 特集「《捨てる》という生き方」

仏教が説く「捨」:捨ててこそ   仏教が勧める「捨」  修行道場と「捨」

断捨離のススメ:親の家の片づけ整理法   その時のための身辺整理術  等

「大法輪」2016年6月号

アマゾンでも買えるんだ… そうだったんだ… 父は書店で特注していたので…

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