■一生残るプレゼント #20

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とうとう親が両親とも居なくなっちゃった…。両方はやはり堪える。

悲しくて泣ける。

両方居なくなって今頃になって初めて気付く、一生残る最高のプレゼントは何かって。

それは「言葉」でした。

両親から言われた言葉の数々、引っ越しても、火事になっても、無くなることのない、一生残るプレゼントになりました。

母が他界してからは、父から手紙や葉書が度々届きました。送ってくれた全てにプレゼントが入っています。

近くに住んでてあげられなかった罪悪感と、近くに住んでなかったからこそ貰えたプレゼント。

だから、自分の子供には、後悔しないように、いろんなことをきちんと言葉にしたいけれど、なかなか難しい時もある…。うるさがられる時も多々あって…。

プレゼントの渡し方は、有形無形に関わらず、どんな時もちょっと考えちゃう。

子供の頃から、何故か、頑張ることはかっこ悪いと思っていました。だからというのもなんですが、20歳くらいになるまでずっと頑張らないできました。かっこ悪いから。でも、20歳くらいの時、母に電話で生まれて初めて「頑張れ」って言われて、そこで初めて「あ… 頑張っていいんだ」と思いました。それからは、俄然頑張ってきた感じ。

親と旅行した時、カメラを落としてしまい、せっかくの岬のいい景色を写真に撮ることができなくなってしまいました。父が怒るかな、と思ったら、「大丈夫。頭のカメラにずっと収めておくから」と言いました。今でも景色を見てカメラも携帯も無い時は、その言葉を思い出します。

教師だった父が「いつもいつも夜遅くまで勉強する必要はないが、時には寝ないでやらなきゃいけない時だってある」と言った言葉は、大人になって随分経っても、思い出します。大人になっても、人は試験に追われる状況が多々あって、老化している頭と体には、勉強はそれなりに疲れます。でも、いつも父の言ってた言葉を思い出して、「今日は寝ないでやらなきゃ」と思ったりします。

病気だった母は、若い時からずっと辛い症状を我慢してきたようです。医者に、手術をしたら子供は諦めなければいけないかもしれない、と言われたかららしく、子供が産めないくらいなら我慢する、とずっと体調不良と戦ってきたようです。最後はとうとう大手術となってしまいましたが…。「でも、3人(私達兄弟」に会えたからやっぱり我慢して良かった」と言って笑っていました。

その他にも数えきれないくらいの言葉があるけど、親はもういない…。

両親と別れることは、帰り道がなくなった旅人みたいな感じ。

最後の遺言は「兄弟(姉妹)三人仲良く」でした。帰り道がなくなってもちゃんと歩いて行けるように残してくれた言葉でした。

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