■幸せの度合いをメタ認知する #52

看護プログラムの授業で、「人間の幸福」について考える機会がありました。

そこでの人間の幸福とは、美味しい物を食べる事でも、素敵な家に住むことでもなく、自分の置かれている状況や人生そのものをいかに自分でコントロールできているか、ということでしした。

とても納得のいく答えで、全ての状況に於いて当てはまるのではないかと思います。

例えば、何週間か前にニュースに出ていた、男性アナウンサーの方の経歴。お父さんが亡くなって、大学生なのにも関わらず、自分以外4人の家族(自分を入れて5人家族)を養うことになったそうなのですが、アルバイトをして、大学にも通い、車の購入まで成し遂げて、更には部活動の主将まで…。これは並々ならぬコントロール力だと思います。とにかく、彼は、弟や妹、家族5人の生活を支えながらも、そこにあまり悲壮感はなく、人間の器の大きさまで感じられました。

残念ながらアナウンサーの方の名前を忘れてしまった。。。。

でも、だから、大変な状況=不幸せ、ではないと言う事です。

また、家計の収入も高く、何不自由ない暮らしをしていても、いろいろな事について、配偶者にお伺いをたてるのがストレスだとしたら、それは自分でコントロールできないストレスということです。でも、それに全くストレスを感じない人もいるし、それは人の性格や状況が全くそれぞれで、ここで言う幸せでなない状況は、自分でコントロールしたいのに出来ていない人です。

配偶者にお伺いを立てることで、幸せ度が高まる夫婦だって中にはいるわけで、あくまでも、個人の希望と現実のギャップが大きい場合に、人のコントロール度が下がって幸せ度が下がる、ということです。

病気の場合も然り、です。

自分は病気になっていないので、そんな人にそんな事を言われても、渦中にいる人はあまりいい気はしないと思うのですが…。

以前、訪問看護をしていたお宅に、五人の40代~50代の兄弟姉妹がいて、皆さんそれぞれに仕事で成功していました。全員セラピストやサイコロジストでした。

でも、兄弟仲が良くなくて、特に何故かそのうちの1人(女性)が陰でやんや言われていて、ご両親(このご両親を訪問看護していました)も心を痛めていました。いつも陰口悪口の兄弟姉妹、という感じで…。

そして、その1人(女性)が、肺がんになってしまったのです。

そしたら、家族が妹さんの病気が判明した時を境に、一致団結して、家族会議を開いては話し合いをして、out of controlな状態から、とてもunder controlな家族に変化して、この方は、結局亡くなったのですが、その間、一人娘の結婚式を済ませ、家族旅行をして、この家族が全ての事においてコントロールされていて幸せな感じ… を見て、本当に、病気=不幸せ、ではないんじゃないか、と思えました。

確かに、病気じゃないほうがいいに決まっています。でも、現実問題として人は時として、病気になってしまったりします。

重い病気になってしまった場合、心理学的にも、その受け入れステージ(段階)は説明されているのですが、この女性の場合、本当に、人生の時間は結果的にちょっと短めだったけど、最後の充実感はなかなか良かった、って言ってもいいんじゃないかな、という感じでした。

自分が同じような立場に置かれたら、ちゃんと最後の受け入れる段階まで行けるのかさえわかりません。

仕事におけるコントロール度も同じ感じです。

仕事が好きで楽しく出来ている場合は、きっと、その仕事をコントロールできている状態だからです。

仕事上、時々来るストレスも、力が発揮できる範囲内のいいストレスで、きっとコントロールされている筈…。

毎日の生活でストレスをあまり感じないのも、全てが自分でコントロールできる範囲内だからです。

自分で、何だか幸せだと思えない、という方は、自分のコントロール下に無い事項は何だろう、と考えてみたらいいんじゃないかと思います。

そして、それを客観的に改善して行ったら、幸せ度もメタ認知出来てくると思います。

かくいう私も、コントロールできてない事が無いわけじゃありません。

子供は… 取り立てて、コントロールしようと思っていないので、ここでは対象に入りません…。存在そのものに感謝したいくらい。

基本的に、他人は変えられない(コントロール下に置けない)ので、それを踏まえてその状況全体をひとまとめにコントロール下に於けるよう自分をコントロールしないといけません。

スポンサーリンク