■手元のお札は一枚だけ
■いつかの道徳の授業
■手元のお札は一枚だけ
今、自分の子供が、私を嫌いムード全開なので、私の発する言葉は、意識的に遮断される可能性が大です。
しかし、訳あって、どうしても伝えなければいけないことがある… 場合。
さて… 私には三枚のお札どころか、お札は一枚しか無いという気持ち。諸矢の無い武士の気持ち。
この一枚限りのお札は、しかるべき状況で使わなければ、成功しない…。
今まで、いかに、何も考えずにガミガミと思いつくままにあれこれ口にしていたことか、を思い知らされます。
その矢が、相手の心に届こうが届くまいがお構いなしに打ちまくっていたのです。無駄矢だったのです。
■いつかの道徳の授業
若かりし頃、教育実習で、母校に行きました。そこで、自分の科目以外に、道徳の授業もやらされました。
実は、学校では、道徳の授業の進め方とか、全く習っていなくて、母校に行った際、さらっと「道徳もやりますよ」と言われ、「ド、道徳…?」となりました。
結果… それは私の黒歴史の一部と相成りました…。
もうすっかり舞い上がって、校長先生も見に来て下さってることだし、クラス全員の子に喋ってもらわなければ… という考えで頭がいっぱいになりました。
でも、それって、1時間をクラスの生徒数で割っても、とんでもない計算になるわけです。
が、私はそれを実行してしまいました。勿論、お題も全く記憶にありません。
その後の反省会。と言っても、私のお世話をしてくださった担任の先生と私だけのひっそりした反省会です。何しろ、校長先生はぶったまげて、呆れ果ててしまった、とのことでしたので、反省会など…。
別の先生から、「校長が椅子から落ちそうになってたよ…(失笑)」とも聞きました…。
その反省会で、担任の先生に言われた言葉を、今でも思い出します。そこだけははっきり覚えています。
「道徳の授業って、それをやったからって、それが子供の行動や考えに直ぐに響くわけじゃなくて、でも例えば、10年後とかにでも、彼らがちょっと思い出してくれたりしたら、その道徳の授業は成功だった、と私は思うんです」
反応は無くても、私の言ったことを、我が子がいつかちょっと思い出してくれたりしたら、その道徳の授業のように、それはそれで良しとしよう、ということでしょうか。思い出してくれたら、です。思い出してくれるのかな…。
余談
道徳の黒歴史と言えば… 小学校の時、道徳の本がどうしても探せなくて、道徳が1時間目だったので、毎回、1時間目の道徳を休んでおりました。母も「道徳?あ~、道徳なら別に…」と言って、私が遅く行っても何も言いませんでした。でも、毎回毎回そういうのもちょっとなあ~と思って、とうとう、先生に「道徳の教科書が無くて…」と打ち明けた所、先生が「あ~、この一冊余ってた本、もう一体誰のだろう、ってずーっと思ってたんだよね~。はい」と言って渡してました。私は最初から何故か貰いそびれていたようでした。ああ、道徳の本が無くて、誰にも言えなくて、割と悩んでいたあの時。今思えば馬鹿バカしかった…。