■毎朝必ずする事 #22

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朝は文字通り、一分一秒を争う世界…。二度寝が常習なので尚更…。

遅く起きても、子供のご飯は必要だし、子供のお弁当も必要だし、子供の学校でのスナックも必要だし、時間があったら自分のもあるといいし、出来ればコーヒーも持参したりしたい(通勤が長いので!)。というわけで、しょっちゅうマッハのスピードでノンストップで動く朝になってしまいます。

でも、1つだけ、どんなに遅刻しそうでも、絶対にすることがあります。

それは、親の写真と戒名とお花と毎朝のお水が上がった場所に向かって、「今日も1日よろしくおねがいします」的な、拝むというより挨拶です。

両親が亡くなってから、その時間が長くなりました。以前は、自分と子供だけのことだったのに、今は、姉や弟や、姉のご主人とかお義母さんとか、姉の子供とか、弟の家族、姉を支えてくれる叔母とか、叔母を支えてくれる叔父とか、叔母と叔父の子供とか、もう、なんだかすごい人数の人をお守りくださるようお願いしちゃってて、とんでもない内容になっちゃってるのです。強迫観念に近い感じで!

家族は全て連鎖反応的に生きてるので、その輪の1か所が欠けると、その悲しみとかが連鎖しちゃうのです。だから皆んなに幸せであってほしい。

神様にお願いしたところで、物事がどうなるものでも無いのは重々承知です。でも、何をどう拝もうとその人の勝手ですからね…。

両親も、「毎朝そんな凄い人数を言って来られても…」と辟易していることでしょう。

仏様を拝むという行為、これは正真正銘、子供の頃からの習慣です。子供の頃から、仏様にご飯とお水をあげて拝んでからでないと朝ごはんは食べられなかったし、炊いたご飯の一番最初は仏様に。そして、顔を洗ってからでないと、仏壇の前に座ることはできなかったし、それは、何十年経った今も思考に染みついてしまっているのです。

更に、これは、過去に起こった出来事からくる私の思い込みもあります。

父がちょっとした事故に遭った時、母が「今日に限って『気を付けてね』と言わなかった」と言っていたのをいつも思い出すのです。

だから、江原啓之先生がどうおっしゃろうと、私は私の信じる方法で、毎朝、亡くなった両親と(実は自分と)対話をしてから出かける、というわけです。

私は、自分で勝手に、運転中は亡くなった母に守られていると勝手に信じています。そんな事は誰にもわかることじゃないし、私の思い込みと言えば思い込みでしょう。でも、実際に、危ない場面を避けられた経験も何度かあったので、むしろ、信じざるを得ないと言った方がいいくらいなのです。

でも、信じるという行為によって、朝から生まれる勝手な安心感。

信じるという行為によって脳内にポジティブな化学物質が生産されるという話も聞いたことがあります。

信じるという行為は、自分自身を信じるという行為。自分はこれでいいんだ、という安心感。なのに、親の写真と向き合うと、「はい、わかってます。これでは良くないよね。」と自分で自分を修正したりして。

時々思う。何独り言を言ってんだか…って。笑

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